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更新日:7月9日

原題:私とテニス

大阪大学テニス同好会の創設から約6年。発足当初からコートに立ち続け、「鬼の北中」と呼ばれるほど厳しい指導で学生たちと向き合ってきた筆者が、その真意を語ります。厳しい練習は勝つためだけではなく、人として成長し、仲間との信頼を築くためのもの――。テニスを通じて何を学び、どのような同好会を築いてほしかったのか。その思いは、創設期を知る人には懐かしく、現代のOB・OGにも変わらない同好会の原点として伝わってきます。

同好会創設から六年


同好会が発足して六年が経過しようとしています。

四、五人の仲間が、余暇にテニスを楽しもうとしたことが同好会の始まりでした。

当時は、一回の練習に参加するのは平均十〜十五人ほど。在籍者は四十〜五十人ほどだったでしょうか。

皆で白球を追いかける毎日でした。

私一人で草取りをしたり、コートを整備したり、クラブハウスを整理したりしたこともあります。

「鬼の北中」と言われるほど、練習中は厳しかったことについては、今さら申し上げるまでもありません。

今年の春に卒業した皆さんが、一番よく覚えておられることでしょう。

厳しさの先に伝えたかったこと


私は、テニスの中にある厳しさを通して、互いに苦しみ、それに耐え、考える力を養い、心と心の触れ合いを育て、自分自身を高めてほしいと願っていました。

しかし、テニスコートを一歩離れれば、皆と一緒になって何もかも忘れ、思い切り遊びに興じていました。

同好会メンバーを厳しく指導する北中さん

そこにこそ、スポーツの真髄があるのではないでしょうか。

年齢も、環境も、目標も、それぞれ違います。

それでもスポーツをしている時は、皆が同じ立場になります。

ただし、そこには一つのルールがあります。

もし、「自分だけが楽しければよい」と考える人ばかりだったら、同好会の運営はどうなるでしょうか。

テニスをしている時だけではなく、普段の生活も含めて同じ気持ちで同好会に参加すること。

そこには、やはり「けじめ」が必要なのだと思います。

同好会は会員全員でつくるもの


テニスは、もちろん大いに楽しんでください。

しかし、ただ楽しむだけで終わってはいけません。

皆の同好会である以上、皆で力を合わせて運営していくには、自分はどうあるべきか、会員はどうあるべきかを一人ひとりが考えることが大切です。

会員全員で力合わせて運営

そう考え続ければ、おのずと新しい何かが生まれてくるはずです。

そして、その答えを皆さん自身の手で決め、同好会をつくり上げていってください。

会員全員で築き上げたものに勝るものはありません。

だからこそ私は、その心の中にあるルールを育ててほしいという思いから、人一倍厳しく練習に臨んできたのです。

楽しむだけのテニスでは終わらないために


だから私は、遊びだけを目的にテニスをしたい人には、私立や公立のテニスクラブへ入会することを勧めていました。

決して、テニスを楽しむことを否定していたわけではありません。

むしろ、スポーツは大いに楽しんでほしいと思っています。

しかし、この同好会には、それ以上に大切にしてほしいものがありました。

それは、仲間とともに考え、支え合い、一つの組織を育てていくという姿勢です。

同好会のこれからは、皆さん一人ひとりの心によって決まります。

テニスを楽しみながら、どうすれば同好会をさらに発展させることができるのか。

現状に満足することなく、それぞれが問題意識を持ち、積極的に取り組んでほしいと思います。

一人の力が、大きな輪になる


その積み重ねの中で、お互いの意思が通い合い、これまで以上に強い絆が生まれるでしょう。

そして、小さな輪は、いつしか大きな輪へと育っていきます。

一人の力に皆の力が加われば、どれほど素晴らしいものが生み出せるか。

私は、そのことを皆さん自身が実感してくれる日を楽しみにしています。

勉強で疲れた心と身体をテニスで癒やし、多くの友を得る。

そして、その中から何か一つでも、自分の人生につながるものを感じ取ってください。

いつまでも誇れる同好会であってほしい


楽しさの中にも厳しさとけじめを忘れず、いつまでも同好会の名が私の耳に届くよう努力してください。

そして、東綿のコートは「借り物」であるということを、常に心に留めておいてください。

練習後に笑顔で談笑する北中さんとメンバー

一人ひとりが常識ある行動を心掛けることも、同好会を支える大切な責任です。

長々と訓話のような話ばかりになってしまい、申し訳ありませんでした。

しかし、それだけ皆さんに期待しているということです。

これから先も、大阪大学テニス同好会がさらに発展し、多くの仲間に愛される存在であり続けることを心から願っています。


 
 
 
yasunoritanaka
7月6日
読了時間: 5分

原題:無題

大阪大学テニス同好会が産声を上げた昭和40年代後半。創設間もない頃から活動に加わった筆者が、同好会の歩みと青春の日々を振り返ります。北中助手との出会い、米子・大山での初めての夏合宿、大学紛争下だからこそ実現した練習の日々、そして歴代役員たちが築き上げた同好会の礎――。一人ひとりの熱意が積み重なり、現在へとつながる大阪大学テニス同好会が形づくられていく様子が、生き生きと描かれた貴重な記録です。

富士の雪景色とともに思い出すこと


先日の雪で、富士山は麓近くまで白く覆われ、東へ連なる丹沢の峰々も、くっきりと美しい岩肌を見せています。

昨年の夏以来、皆さんとお会いする機会がありませんでしたが、昨年はどのような一年だったでしょうか。そして今年は、どんな目標を持っておられるでしょうか。

皆さんの一年が実り多いものになることを願っています。

私自身は、昨年は大学生活最後の三年間よりも、はるかに多く練習することができました。

今年は十分にトレーニングを積み、できる限り一般の大会にも出場してみようと思っています。

さて、北中さんや高橋君(現・富士通)が書いてくださるかもしれませんが、私も同好会創設当時の思い出を少し書いてみたいと思います。

同好会との出会い


このテニス同好会は、高橋君、揚さん、今井君たちを中心に、昭和43年の秋に発足したと聞いています。

私は当時、昔テニス部で一緒だった友人たちと、毎週日曜日にひばりが丘花屋敷のテニスコートでプレーしていました。

そのコートのすぐ横に住んでおられたのが北中さんでした。

北中さんも時々コートへ出てこられ、一緒にテニスを楽しみました。

そして着替えや休憩のたびに、北中さんのお部屋を使わせていただいたことも、今では懐かしい思い出です。

その後、高橋君とも一緒にプレーする機会が増え、彼に勧められて翌年五月に同好会へ入りました。

ちょうど並木君や梶川君たちが入会してきた頃だったと思います。

その頃は大学紛争が最も激しかった時期でした。

皮肉なことですが、そのおかげで私たちは思う存分テニスの練習をすることができました。

忘れられない、最初の夏合宿


その年の夏、「初めての合宿を開こう」ということになりました。

北中さんのお世話で、合宿地は鳥取県・米子に決まりました。

今でも忘れることのできない、同好会最初の夏の思い出です。

宿泊したのは、大山の麓にある大山寺の旅館でした。

毎朝、マイクロバスに乗り、およそ四十分かけて米子城跡のテニスコートへ向かい、一日中練習しました。

女性の参加者は、一学年下の薬学部の三人だけだったように記憶しています。

とにかく暑い夏でした。

昼食の時間には、皆で米子の町を歩き回ったことも懐かしく思い出されます。

一方、大山の麓にある宿は涼しく、とても快適でした。

合宿最終日には、北中さんがたくさんの牛乳を届けてくださいました。

一人で三、四本も飲んだほどで、そのおいしさは今でも鮮明に覚えています。

大山で過ごした、忘れられない夏


合宿が終わると、皆で大山へ登りました。

朝早くから登り始めた人、頂上までの速さを競った人、縦走に挑戦した人――それぞれが思い思いの登山を楽しみました。

たしか、一番早く頂上へ着いたのは守屋君だったように記憶しています。

私はテントを持っていたので、頂上から高橋君、黒田君(現・東芝)とともに桝水高原へ下りました。

お花畑が本当に美しく、そこでテントを張って過ごしたことも忘れられません。

大山に泊まってのテニス合宿

その後は海岸へ移動し、再びテントを張って泳いだりしながら夏を満喫しました。

夜になると、テントの中は暑くて眠れません。

三人で外へ出て海辺に寝転び、満天の星空を眺めながら夜更けまで語り合いました。

今思えば、あの静かな時間こそが、学生時代ならではの何ものにも代え難い思い出だったように思います。

歴代役員が築き上げた同好会


昭和44年は、今井君、木村君、中根君たちが中心となって同好会を運営してくれました。

この年に、同好会の土台が築かれたように思います。

翌年には、並木君や宇治君たちが中心となり、部員数も大きく増えました。

現在へと続く同好会活動の基礎が完成したのは、この頃だったのではないでしょうか。

特に並木君をはじめとする役員の皆さんの熱心な働きには、本当に頭が下がります。

この頃には、春・夏・秋と年に三回、あるいはそれ以上の合宿が行われていたように記憶しています。

和歌山県・日置での合宿は、コートも宿舎も素晴らしく、参加者も年々増えていきました。

その分、役員の皆さんの苦労も並大抵ではなかったことでしょう。

昼は思う存分テニスをし、夜はミーティングを行い、その後には「夜の練習(?)」まで続き、ほとんど眠らないまま翌日の練習へ向かう人も少なくありませんでした。

若さゆえのエネルギーに満ちあふれていた時代でした。

仲間とともに歩んだ青春


昭和46年には、福川君、沖野君、橋本君たちが中心となって同好会を支えてくれました。

高田君、鳥巣君、鉢本君、平岡君、屋鋪君、山代君たちも、テニスはもちろん、それ以外の場面でも力を合わせ、同好会を盛り上げていたように思います。

練習後の小コンパ、そして夜のドライブへ

服部で練習を終えたあと、小さなコンパを開き、その勢いのまま北中さんも一緒に車で鳥取県まで出掛けてしまったこともありました。

そんな自由で、少し無茶な思い出も、今では懐かしい青春の一場面です。

同好会への感謝を込めて


それ以後のことは、皆さんの方がよくご存じでしょう。

私自身、以前ほど練習に参加できなくなりましたので、多くを書くことは控えたいと思います。

ただ一つ申し上げたいのは、清水君をはじめ、今日まで同好会を支えてこられた歴代役員の皆さん、そして会員の皆さんに心から感謝しているということです。

同時に、これからも皆さんが力を合わせ、この同好会をさらに発展させてくださることを願っています。

私もこちらで何かお役に立てることがあれば、喜んで協力したいと思います。

最後に、もし記憶違いがありましたら、どうかお許しください。

 
 
 

原題:無題

大学を卒業して一年。それでも筆者は、「同好会を去ったとは少しも思っていない」と語ります。創設期のメンバーとして見つめてきた同好会の成長、そして後輩たちへ託す思い。それは単にテニスを楽しむ集まりではなく、一人ひとりが支え合い、新しい人間関係を築く場であってほしいという願いでした。OBとなった今も変わらない「同好会の一員」としての思いが、静かで温かな言葉で綴られています。

卒業しても、心は同好会にある


同好会の皆さん、お元気ですか。

私が大学を去ってから、早くも一年が過ぎました。

とは言っても、私自身は同好会を去ったとは少しも思っていません。

学生時代の懐かしいテニス練習の思い出

今でも、同好会の一員だと思っているのです。

振り返ってみると、私が同好会へ入った当時は、まだ組織らしい組織もなく、ただテニスの好きな仲間が集まり、一緒に練習しているという雰囲気でした。

それが数年の間に、このような充実した組織へと成長したことを、私は心からうれしく思っています。

もちろん、今でも運営にはさまざまな苦労があるでしょう。

しかし、それらは会員同士が協力し合えば、一つひとつ乗り越えていけると信じています。

私たちが目指した同好会


本来、OBが現役の同好会運営について口を出すべきではないのかもしれません。

けれども参考までに、私たちが理想として目指してきた同好会とは、どのようなものだったのかを少しお話ししたいと思います。

テニス同好会は、その名のとおり、テニスを楽しむための会です。

それは間違いありません。

しかし、私たちはテニスだけで終わる同好会にはしたくありませんでした。

テニスを基盤としながら、日常のさまざまな場面でも会員同士が考え、語り合い、ともに行動する。

その積み重ねの中から、新しい人間の集団を築き上げたい。

そして、その集団の中では、一人ひとりが何らかの意味で大切な役割を果たす存在であってほしい。

そんな理想を抱きながら活動してきたのです。

理想は、現役がつくるもの


こんな話をすると、「理想論だ」と言われるかもしれません。

現役が皆で作る同好会

しかし、私はそれでも構わないと思っています。

今、同好会を運営しているのは現役の皆さんです。

OBである私たちとは、同好会に対する考え方や意味づけが違っていて当然でしょう。

だからこそ、皆さん自身が理想とする同好会を、自分たちの力で築いていってください。

私たちが、私たちなりの理想を追い求めたように。

OBもまた、同好会の一員


少しかたい話になってしまいました。

けれど私は、日々成長していく同好会を、これからも楽しみに見守っていきたいと思っています。

もし、私たちOBにできることがあれば、いつでも遠慮なく連絡してください。

最初にも書いたように、私たちも同好会の一員なのですから。

卒業したから終わりではありません。

同じコートで汗を流し、同じ時間を過ごした仲間として、そのつながりはこれからも続いていくものだと思っています。

またコートで会いましょう


では、また合宿などで一緒に練習し、語り合える日を楽しみにしています。

みんなのつながりを応援しています

その時には、今の同好会がどのように成長しているのかを見ることも、大きな楽しみの一つです。

同好会は、現役だけのものでも、OBだけのものでもありません。

世代を超えて受け継がれ、一人ひとりの思いが積み重なって育っていくものです。

これからも、その歩みを止めることなく、大阪大学テニス同好会らしい歴史を築いていってください。


 
 
 
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