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雨男疑惑を乗り越え、外へ踏み出した一年|安福哲男
原題:昭和五十三年度をふり返って 昨年四月、思いがけず会長にかつぎ出されてから約一年。自信のないまま始まった幹部生活は、雨にたたられた京大戦、関西庭球同好会連盟への加盟、ニューカレ、夏合宿、北中杯、そして他大学との団体戦へと続いていった。「雨男」のうわさに悩まされながらも、少しずつ自信をつけ、同好会の新しい一歩を支えた一年間。任期を終える一週間前、安福哲男さんが会長として過ごした日々を振り返ります。 自信のないまま始まった会長生活 昨年の四月に会長にかつぎ出されて以来、約一年間、同好会会長を務めさせていただき、あと任期も残すところ一週間ほどになりました。そこで、この一年間を振り返ってみたいと思います。 会長に引っ張り出されてから少しの間というものは、自信もないし、元来“無口”な私でありますから、練習の運営がなかなかうまくいきませんでした。 最初の頃の練習において、幹部の一人がメニューを読む時に、 「8番コート、○○さん……」 と、先輩の名前だったので思わず「さん」をつけてしまう、といった具合でした。 「雨男」再来のうわさ 自信のないうちに5月にな
yasunoritanaka
5月15日読了時間: 6分


「シビアな田中君」と呼ばれた一年|田中康宣
原題:会長としての一年間をふり返って 一回生の冬、「会長にならされるぞ」といううわさは、春合宿で現実になった。新入生の勧誘、万博のコート取り、練習メニュー作り、各種大会、そして夏合宿――。次々と押し寄せる行事の中で、「シビアな田中君」と呼ばれながら同好会を率いた一年間。昭和54年度の活動を振り返るとともに、幽霊会員や早朝のコート取りなど、当時の同好会が抱えていた問題にも率直に触れた、若き会長の一年の記録です。 たよりない会長のはじまり 一回生の冬頃に、「会長にならされるぞ」といううわさを耳にしたのですが、その通りに春合宿で会長に選ばれてしまいました。 最初にやったのが会長のあいさつなのですが、これがなんと、今年卒業された木村さんに考えてもらったという、なんともはや、たよりない会長のはじまりでした。 春合宿から帰ってくると、やることはたんまり。新入生の勧誘や、万博のコート取り。練習ではメニュー作りをしなければならないし、本当にいそがしい毎日でした。 「シビアな田中君」 アッという間に5月になり、万博で強化練習が行われました。その頃からでしょうか、「
yasunoritanaka
5月6日読了時間: 5分


百人を超える同好会をどう動かすか|木村友彦
原題:昭和五十五年度をふり返って 昨年の春合宿を欠席していたにもかかわらず、なぜか会長に選ばれた木村友彦さん。「非常に荷の重い役を負うはめになった」と振り返りながら、練習、試合、コンパ、合宿、コート取り、そして同好会の運営まで、昭和55年度の一年間を率直に総括します。会員数が増え、組織が大きくなっていくなかで見えてきた課題と、次の世代への期待。発展期にあった大阪大学テニス同好会の姿が伝わる、会長としての一年の記録です。 私は、昨年の春合宿をある理由のために欠席したのですが、それにもかかわらず、なぜか会長に選ばれてしまい、非常に荷の重い役を負うはめになってしまいました。 思い返せば至らぬところの連続でしたが、この一年間の同好会の活動をふり返ってみて、反省を加えてゆきたいと思います。 練習――人数が増えたからこその課題 練習日は、月、水、木、土曜日の週4回でしたが、一年を通してピリッと締まった練習があまりできなかったようです。 それには当然、幹部の引き締めが不十分であったということがあるのですが、それと同時に、同好会の活動がさかんになるとともに、練習
yasunoritanaka
4月18日読了時間: 5分
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