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同好会創設の日々を振り返る|塩見 芳彦

yasunoritanaka
7月6日
読了時間: 5分

原題:無題

大阪大学テニス同好会が産声を上げた昭和40年代後半。創設間もない頃から活動に加わった筆者が、同好会の歩みと青春の日々を振り返ります。北中助手との出会い、米子・大山での初めての夏合宿、大学紛争下だからこそ実現した練習の日々、そして歴代役員たちが築き上げた同好会の礎――。一人ひとりの熱意が積み重なり、現在へとつながる大阪大学テニス同好会が形づくられていく様子が、生き生きと描かれた貴重な記録です。

富士の雪景色とともに思い出すこと


先日の雪で、富士山は麓近くまで白く覆われ、東へ連なる丹沢の峰々も、くっきりと美しい岩肌を見せています。

昨年の夏以来、皆さんとお会いする機会がありませんでしたが、昨年はどのような一年だったでしょうか。そして今年は、どんな目標を持っておられるでしょうか。

皆さんの一年が実り多いものになることを願っています。

私自身は、昨年は大学生活最後の三年間よりも、はるかに多く練習することができました。

今年は十分にトレーニングを積み、できる限り一般の大会にも出場してみようと思っています。

さて、北中さんや高橋君(現・富士通)が書いてくださるかもしれませんが、私も同好会創設当時の思い出を少し書いてみたいと思います。

同好会との出会い


このテニス同好会は、高橋君、揚さん、今井君たちを中心に、昭和43年の秋に発足したと聞いています。

私は当時、昔テニス部で一緒だった友人たちと、毎週日曜日にひばりが丘花屋敷のテニスコートでプレーしていました。

そのコートのすぐ横に住んでおられたのが北中さんでした。

北中さんも時々コートへ出てこられ、一緒にテニスを楽しみました。

そして着替えや休憩のたびに、北中さんのお部屋を使わせていただいたことも、今では懐かしい思い出です。

その後、高橋君とも一緒にプレーする機会が増え、彼に勧められて翌年五月に同好会へ入りました。

ちょうど並木君や梶川君たちが入会してきた頃だったと思います。

その頃は大学紛争が最も激しかった時期でした。

皮肉なことですが、そのおかげで私たちは思う存分テニスの練習をすることができました。

忘れられない、最初の夏合宿


その年の夏、「初めての合宿を開こう」ということになりました。

北中さんのお世話で、合宿地は鳥取県・米子に決まりました。

今でも忘れることのできない、同好会最初の夏の思い出です。

宿泊したのは、大山の麓にある大山寺の旅館でした。

毎朝、マイクロバスに乗り、およそ四十分かけて米子城跡のテニスコートへ向かい、一日中練習しました。

女性の参加者は、一学年下の薬学部の三人だけだったように記憶しています。

とにかく暑い夏でした。

昼食の時間には、皆で米子の町を歩き回ったことも懐かしく思い出されます。

一方、大山の麓にある宿は涼しく、とても快適でした。

合宿最終日には、北中さんがたくさんの牛乳を届けてくださいました。

一人で三、四本も飲んだほどで、そのおいしさは今でも鮮明に覚えています。

大山で過ごした、忘れられない夏


合宿が終わると、皆で大山へ登りました。

朝早くから登り始めた人、頂上までの速さを競った人、縦走に挑戦した人――それぞれが思い思いの登山を楽しみました。

たしか、一番早く頂上へ着いたのは守屋君だったように記憶しています。

私はテントを持っていたので、頂上から高橋君、黒田君(現・東芝)とともに桝水高原へ下りました。

お花畑が本当に美しく、そこでテントを張って過ごしたことも忘れられません。

大山に泊まってのテニス合宿

その後は海岸へ移動し、再びテントを張って泳いだりしながら夏を満喫しました。

夜になると、テントの中は暑くて眠れません。

三人で外へ出て海辺に寝転び、満天の星空を眺めながら夜更けまで語り合いました。

今思えば、あの静かな時間こそが、学生時代ならではの何ものにも代え難い思い出だったように思います。

歴代役員が築き上げた同好会


昭和44年は、今井君、木村君、中根君たちが中心となって同好会を運営してくれました。

この年に、同好会の土台が築かれたように思います。

翌年には、並木君や宇治君たちが中心となり、部員数も大きく増えました。

現在へと続く同好会活動の基礎が完成したのは、この頃だったのではないでしょうか。

特に並木君をはじめとする役員の皆さんの熱心な働きには、本当に頭が下がります。

この頃には、春・夏・秋と年に三回、あるいはそれ以上の合宿が行われていたように記憶しています。

和歌山県・日置での合宿は、コートも宿舎も素晴らしく、参加者も年々増えていきました。

その分、役員の皆さんの苦労も並大抵ではなかったことでしょう。

昼は思う存分テニスをし、夜はミーティングを行い、その後には「夜の練習(?)」まで続き、ほとんど眠らないまま翌日の練習へ向かう人も少なくありませんでした。

若さゆえのエネルギーに満ちあふれていた時代でした。

仲間とともに歩んだ青春


昭和46年には、福川君、沖野君、橋本君たちが中心となって同好会を支えてくれました。

高田君、鳥巣君、鉢本君、平岡君、屋鋪君、山代君たちも、テニスはもちろん、それ以外の場面でも力を合わせ、同好会を盛り上げていたように思います。

練習後の小コンパ、そして夜のドライブへ

服部で練習を終えたあと、小さなコンパを開き、その勢いのまま北中さんも一緒に車で鳥取県まで出掛けてしまったこともありました。

そんな自由で、少し無茶な思い出も、今では懐かしい青春の一場面です。

同好会への感謝を込めて


それ以後のことは、皆さんの方がよくご存じでしょう。

私自身、以前ほど練習に参加できなくなりましたので、多くを書くことは控えたいと思います。

ただ一つ申し上げたいのは、清水君をはじめ、今日まで同好会を支えてこられた歴代役員の皆さん、そして会員の皆さんに心から感謝しているということです。

同時に、これからも皆さんが力を合わせ、この同好会をさらに発展させてくださることを願っています。

私もこちらで何かお役に立てることがあれば、喜んで協力したいと思います。

最後に、もし記憶違いがありましたら、どうかお許しください。

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