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テニスを愛した沖野さんへ|清水 道正

yasunoritanaka
6月12日
読了時間: 2分

原題:沖野さんを悼む

突然の訃報に接した筆者が綴った追悼文です。昭和49年11月の日記と、その半年後にあらためて振り返った思いが重ねられています。誰よりもテニスを愛し、独特の存在感で後輩たちを支えた沖野さん。その何気ない一言や、コートに立つ姿は今も鮮明に記憶に残っています。一人の先輩への深い敬意と惜別の思いが静かに伝わってくる、同好会の歴史を語るうえでも大切な一編です。

突然の別れ


昨日、沖野さんが亡くなられた。

通夜で見た死顔と、元気だった頃のあの顔とが交錯して浮かんでくる。本当にもう一度話したかった。テニスを一緒にやりたかった。もう一度……。

運命とはいえ、あまりに儚く、悲しすぎる。

通夜で静かに故人を見送る大阪大学テニス同好会の学生たち

梶川さんの結婚式がつい10日前にあったばかりで、同好会もこれからはおめでた続きだと喜んでいた矢先、こんな悲しみが起こるなんて……。

心からご冥福を祈る。

(昭和49年11月13日の日記の一部)

半年が過ぎても


あれから半年と少し経ち、今こうして沖野さんのことを思い出していますと、何とも言えない気持ちになります。

力なく横たえた足元に置かれたオールマンのラケットが、今も頭に焼きついて離れません。

テニスがこの上もなく好きな人でした。

今はもう使っていませんが、あのトーメンのコートに授業をさぼって「今日は一番乗りだ」と思って出かけても、先に来ておられたのが沖野さんでした。

そして一言、

「何や清水か。遅いやないか」
誰よりも早くコートに立つ沖野さんの姿

と、ぽつり。

彼こそ、真の「テニスバカ」と呼ぶにふさわしい人物だったような気がします。

あれほどの個性を持った人は、残念ながら現在の同好会には見当たりません。

ややうつむき加減に、ぼそぼそと話す時、それだけで十分な圧迫感を受けたものでした。

ぽつりと言葉をくれる先輩


私が二年生のとき、部長として少しは悩んだ時期がありました。

そんな時、沖野さんに話すと、決してああだこうだと理屈っぽく言う人ではありませんでした。

例によって、ぽつり、ぽつり。

でも不思議と、その「ぽつり」が大きな支えとなったのを覚えています。

沖野さんのテニスぶりについては、創刊第0号の高田さんの評に譲りますが、とにかく足を動かさずに打つことにかけてはNo.1でした。

今頃は極楽の一丁目あたりで、テニスをされていることでしょう。

相変わらず、足はあまり動かさずに。


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