空白を埋めるものを探して|大藪 雅子
原題:空白の中から
沖野さんの訃報を受けた筆者が、自身の記憶をたどりながら綴った追想です。白馬合宿での何気ない会話、トーメンコートでの思い出、そして今となっては二度と会えないという現実。過去の鮮やかな情景と、突然訪れた心の空白とが静かに交錯します。故人を語るというよりも、失った人を思い続ける心の動きを繊細に描いた、美しい追憶の一編です。
訃報を聞いた日
はらはらと山茶花の花びらが北風の中に舞い落ちる日、私は沖野さんが亡くなったという知らせを聞いた。

突然、心の中に広がる虚しさ。
それと同時に、やっぱり一度思い切ってお見舞いに行けばよかったという後悔の気持ちがわきあがった。
けれど、今となってはどうしようもない。
白馬の青い空の下で
心は、一足飛びに二年前の夏合宿を思い出す。
前日までの集中豪雨もすっかりあがり、嘘のように晴れあがった青い空を背景に、白馬連山がくっきり見える。
黒土のコートでは、日焼けしたいつものメンバーが、目の色を輝かせて白球を追いかける。
そんな中で、ただ一人、楽々と、一見どうでもいいといった感じでボールを打つ人。
それが沖野さんであった。
当時、ホームランばかり打っていた私をコートの外へ呼んで、うつむき加減に、ぼそぼそといろいろ注意してくださった。
その時、何と言われたのかは全く覚えていない。
けれど最後まで顔を一度も上げず、話が終わるとくるりと背を向け、隣のコートへ行ってしまったことだけは、今も鮮明に思い出す。

いやに内気な人だと、その時初めて沖野さんという人を認識した。
けれど今にして考えてみれば、沖野さんに関するあの思い出、この思い出のすべてが、うつむき加減に話していた時のことばかりであり、それが少し残念に思う。
結局、私は沖野さんの人間性に触れることは、一度もなかったのではないか……。
心の空白を埋めるもの
あの日の白馬の空は、今日のこの空よりずっと青かった。
けれど、あの日も、沖野さんも、もう二度と見ることはできない。
ここ数日、私の心は、現実と過去を何度も行ったり来たりする。

トーメンのコートや白馬合宿での懐かしい思い出も、次から次へとはっきり思い出す反面、その主人公を失った今、二年どころではない、もっとずっと昔の出来事ではなかったか、あるいは本当にそんなことがあったのだろうかという錯覚に陥りそうになる。
心の中の空白に、それらの思い出がストンと落ちてしまわないように。
私は今、空白を埋めるための何かを探している。





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