最初は一番怖かった先輩|山本 久夫
原題:故沖野彰二氏にまつわる思い出
沖野彰二さんとの思い出を、率直な言葉で振り返った追想です。入会当初は「一番怖かった先輩」。しかし、時を重ねるにつれ、その印象は親しみと尊敬へと変わっていきます。テニス、麻雀、学生時代の日常、そして最後に交わした何気ない言葉への後悔──。個性豊かな先輩を失った寂しさが、飾らない筆致で綴られています。
最初は一番怖かった先輩
最初、同好会に入って、一番怖かった人といえば、まぎれもなく沖野さんでした。
今から思えば、おかしなことです。
コートの隅の方でぶすっと立っていて、ぼそぼそしゃべるあの感じ。
コートに立つと、何というか、一種独特の雰囲気がありました。
よく言われていたことだけど、沖野さんのリーチはすごく短かった。
前のボールや横のボールは、絶対といってよいほど取らなかった。
生粋の同好会育ちのテニスを、彼は身につけていたと言われるゆえんでしょう。
思えば、同好会テニスを始めて、よくあれだけ上手くなれたものだと感嘆するばかりです。
僕が二年の時の秋の京大戦だったと思いますが、屋鋪さんと組んだダブルスでの素晴らしい活躍は、今でも語り伝えられているほどです。

距離が縮まった頃
ところで、一番怖いと思った人と、なぜ話せるようになったかということです。
確かあれは、僕が梶川さんのところへ頻繁に出入りしだした頃からだと思います。
原因は、お互い、その頃ある共通の悩みがあったというか、何しろいろいろあったのです。
まあ、その辺の事情は、わかる人はわかることでしょう。
今は、それも懐かしい、忘れることのできない思い出となってしまいましたが……。
また、沖野さんは麻雀でも非常に強かったということです。
その強さは僕にはわからなかったのですが、平岡さんや山代さんの話から察せられたことです。
僕が麻雀を教えてもらった頃、梶川さんのところで徹夜麻雀をやったことがあります。
そこには確か、沖野さん、平岡さん、屋鋪さん、山代さんとの六人がいたと思います。
思えば、錚々たるメンバーで、僕など後ろから見せてもらえるだけで十分なはずなのに、麻雀を覚えたてで、やりたくてしょうがなかったのでしょう。

忘れられない最後の対戦
やったんです。
対面に沖野さんが座りました。
もうかなり遅くなった頃、沖野さんが「しんどい」と言い出したんです。
そうしたら僕が、
「沖野さん、何言うてるんや。沖野さんがしんどい言うて、どないするんよ。」
と、そのようなことを言ったんです。
今、それが一番気にかかっていて、すごく申し訳ないことを言ったようで……。
でも、それが最初で最後の、沖野さんとの対戦でした。
同好会から、一人、個性豊かな人が消えてしまったわけです。
最後に、やはり健康にはくれぐれも気をつけなければいけないと思います。
ここに、沖野さんのご冥福を心からお祈りして、筆を置きたいと思います。





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