テニスだけは理想を語れる|荒木 健一
原題:テニスを通して
「テニスとは何か」と問われても、深く考えたことはない。ただ、気がつけば好きになっていた。それだけのこと。しかし、就職を目前に控えた学生生活の終わりに立つと、社会への戸惑いや、大人たちへの違和感、将来への複雑な思いが浮かび上がってきます。そんな中でも、唯一まっすぐ理想を語れる場所がテニスだった――。短い文章ながら、卒業を迎える学生の心情が率直に綴られています。
テニスとは何だろう

おれにとってテニスとは何ぞや。
ひょっとすると、これは大問題ではないか。
しかし、おれはこれについて考えたこともないし、その必要性も感じたことはない。
ましてや、これを深刻に考え、更に理論的・哲学的考察を加えることなど、ノミのヘソを探すようなものであり、歯車減速機の設計計算以上にしんどいことである。
ただ言えることは、おれが生まれる前からテニスは存在し、ひょんなことでテニスと出会い、このスポーツを好きになってしまったということだ。
それ以外の何物でもない。
もっとも、その結果としていろいろなことがあったのは事実であるが。
社会人になるということ
さて、おれも今年中には就職先が決まってしまう。
本当に?
そうすると来年は社会人ですよ、社会人。

たいしたもんだ。
まさに、
「見上げたもんだよ屋根屋のふんどし」
である。
まったく現実感がない。
しかし、大学院へ行かない(行けない?)のなら、これは事実である。
テニスがどうのこうのとブチブチ言っていられないのかもしれない。
理想を語れる場所
おれ達のあいだには、就職、つまり将来を表す具体的なものに対し、一種のひらきなおり、あるいはしらけがあるのは否定できない。
おれたちは大人たちの諸悪を見せつけられ、それを批判し、あざけり、
「ああはなるまい」
と思う。
理想なんて持てたもんじゃあない。

人生論なんて、くそくらえ。
必要なのは経験。
いかに巧みに社会人となるか。
そんなおれ達は、悲しいが非常に愛すべき人間達である。
理想、人生論は、
テニスにおいてのみ存在する。
もっと強い球を!





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