猫のようには生きられない|宮野 知行
原題:魔性
下宿に居ついた一匹の猫を眺めながら、「人は猫のように平和に生きられないものか」と考える筆者。昼寝を楽しみ、気ままに暮らす猫と、人間の社会で生きる自分たちを対比しながら、少し哲学的な思索を綴っています。最後は春を迎えようとする猫の姿を温かく見守り、「この居候さんに幸いあれ」と結ぶ一編。昭和の学生下宿の日常と、何気ない出来事から人生を考える学生らしい感性が伝わってきます。
下宿の居候さん
僕の下宿に居候が約一匹います。

毎日、ばあさんどもの踊りや歌を子守歌として、南のひだまりで背を丸めて過ごしています。
この居候さん、実は猫なのです。
下宿の主人の足に咬みついて以来、ほどこしを受けていないから何を食べているか知らないけれど、毎日平和な顔をして昼寝を楽しんでいます。
人は猫のように暮らせるか
さて、この猫を見て思うのですが、人は毎日この猫のように昼寝をして、生涯平和に暮らせないものかと。
しかし、どうもそのようにはうまくいかないのではないか、というのが結論です。
人には、猫と違って自意識があり、他人によく見られたい、より良くなりたいという意識があります。
そのためには、人より良いおヘベを着て、さっそうとしなければならない。
そのためには、お金をもうけなければならない。
そのためには、人とけんかをしたり、おだてたりしなければならない。

そのためには、頭を使わなければならない。
すなわち、あくせくしなければならない。
上の範疇にもれるのは、自分のことをよく知り、利害の対立しない人に対する場合だと思います。
そのような場合は少ない。
おもらいさんは唯一の例外です。
上の理由が主なものです。
春を待つ猫
さて、くだんの居候さん、今年になって彼氏が出来ました。
向かいの歯医者のシャム猫君です。
時々、天気の良い日など、二匹仲よく日向ぼっこをしているのを見かけることがあります。

春に近づくにつれ、居候さんのお腹も大きくなって来ています。
どんな子供が産まれるか、興味深々というところです。
今日、帰りがけに見ると、南の縁側で、春近く暖かい日ざしをあびて、気持ちよさそうに眠っていました。
この居候さんに幸いあれ。





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