「ふれあい」が同好会をつくる|山田 康子
原題:「ふれあい」する心
流行歌「ふれあい」に心を動かされた筆者は、その歌に込められた思いを、大阪大学テニス同好会の日常へと重ね合わせます。学年が上がるにつれて少しずつ変わっていく同好会の雰囲気、後輩たちとの距離、そして寂しさ。それでも「ふれあい」は、自分たちから生み出せるものだと語りかけます。世代を超えて仲間とつながることの大切さを、温かなユーモアを交えながら綴った一編です。
「ふれあい」という歌に思うこと

皆さん、中村雅俊の「ふれあい」という歌をご存じですか。
そう、一、二か月ほど前に爆発的に流行っていたあの歌です。
(歌詞は著作権保護のため省略します。)
私が最初にこの歌を聞いたときには、ただ、ちょっと憧れている中村雅俊の歌だということで興味を持っただけでした。
でも、二、三度聞くうちに、どこにでもあるような歌だけれど、だからこそ誰もがおきざりにしかけていた大切なことを歌っているのではないか、と思い始めたのです。
トーメンのコートが好きだった理由
大学というところが何となくすさんで見えるのも、いろんな意味での「ふれあい」が欠けているからなのではないでしょうか。
でも、我がテニス同好会は違うのです。
私が暇さえあればトーメンのコートへ行きたくなってしまうのは、あの白い(茶色の方が適当でしょうが)ボールをラケットで打ちたいというだけではありません。
あのトーメンの暖かい雰囲気。
そこにいるだけで、みんなの顔を眺めているだけで、なんというか、故郷へ帰ったような気持ちになれるからなのです。
皆さんも、そうは思いませんか。
でも、それが、この頃は少し違って感じられるようになりました。
勉強が忙しくなって、コートへ行く機会が減ったこともあるでしょう。
けれど、それだけではないような気がするのです。
私たちが三年生になり、一、二年生がコートを埋め尽くすようになりました。
見回せば、見知らぬ顔がここにも、あそこにも。
同好会のムードも、私たちの頃とは少しずつ変わってきています。
もちろん、その変化が悪いというのではありません。
それは自然なことであり、大切なことでもあります。

けれど、その新しいムードが、私たちを少しずつトーメンから、そして同好会から遠ざけてしまうようにも感じるのです。
考えすぎでしょうか。
でも、それはこちら側にも責任があります。
その新しい雰囲気へ積極的に溶け込もうとしていないのですから。
「こんにちは」から始まるふれあい
こんなことを言うのは寂しいことです。
「仕方がない」と思っている方もおられるかもしれません。
でも、それではいけない。
私はここで、断固として立ち上がるのであります。
ふむ、まさしくジーザス・クライスト、救世主なのですぞ。
私は同好会の皆さん、特に一年生の方に申し上げたいのです。
どうか三、四年生やOB・OGの方々へどんどん話しかけてください。
テニスのことでも、その他のことでも、何でも尋ねてください。
機会があれば、どこへでもくっついていってください。
(金魚のふんみたいに、です。)
下から上へ働きかけてください。
トーメンへ行ったら、コートへ一歩踏み入れたら、
一年生にも、二年生にも、三・四年生にも、
OB・OGにも、
トーメンの寮の方にも、
コートの関係者の方々にも、
そして、コートへ迷い込んできたモンシロチョウや赤トンボにまで、
「はいっ、こんにちは!」
と、大きな声で言ってみてください。
そして、コートにいる人も、
「こんにちは!」
と答える。

なんだか幼稚園の先生になった気分ですが、私は挨拶というものが少なすぎるように思うのです。
これは年寄りのひがみでしょうか。
私にとって、ふれあいを求める「あの人」とは、
トーメンのコートであり、同好会そのものなのです。





コメント