テニスと歩んだ九年間、そして同好会で見つけた楽しさ|幸田啓子
原題: エトセトラ
就職試験を終えた直後に始まった阪大病院での実習。慌ただしい毎日の中で綴られたこの文章には、中学・高校時代の厳しいテニス生活、そして大阪大学テニス同好会で過ごした自由で楽しい三年間の思い出が、率直な言葉で語られています。勝利に涙した真剣勝負の記憶と、仲間と笑い合った芸能生活。テニスに青春を捧げてきた筆者だからこそ感じた「競技としてのテニス」と「仲間と楽しむテニス」の違いが、飾らない文章から温かく伝わってきます。
実習に追われる毎日
十一月一日に就職試験を終え、ホッとひと息つく暇もなく阪大病院で実習が始まりました。

なにしろ石橋までしか通ったことのない子で、その上、車ばかりに乗っていて足も退化してきているので、毎朝阪大病院へたどり着くだけで精一杯です。
病院では、「梅毒は感染しないか」「血清肝炎は大丈夫か」と恐ろしげな話もあり、一日一日のレポートはたまる一方。そんな毎日の中でこの原稿を頼まれ、じっくり考えて書く暇もないので、思いつくまま気の向くままにペンを走らせています。
だからテーマは「エトセトラ」……。
中学時代――軟式テニスに夢中だった頃
実習が終わると、早くもサントリーの新歓コンパ、そして北中杯、追い出しコンパ。
「ああ、もう追い出されちゃうのか」。みんなと同じ入会金を払ったのに一年も早く追い出されるなんて……。「もう一年」という声もありましたが、それも気が進みません。
いやいや、実をいうとまだわからないのです。恐怖の解剖生理学を落としているので……。キャー!!
私がテニスに出会ったのは、今から九年前、中学生のころでした。
テニス部に入り、毎日テニスに明け暮れました。もっとも軟式テニスですが。
三年生のとき、石灰で引いたばかりのラインで滑って転倒し、右足首の関節を痛めてしまいました。医者には「三か月ギプス、その後三か月は運動禁止」と言われましたが、一か月でギプスを外し、その翌日にはもうテニスを始めていました。
最後の試合が目前だったのです。
今でも寒くなると関節は痛みます。でも、その試合で府下優勝することができ、悔いのない中学生活を終えました。
高校で経験した忘れられない試合
高校でも迷わず硬式テニス部へ入りました。
やはり毎日テニス漬け。練習はもちろん厳しかったのですが、それ以上につらかったのは試合でした。
シングルスでは三時間、四時間にも及ぶ試合を何度も経験しました。
中でも一番忘れられないのは最後の団体戦です。
シングルス1が高熱で敗れ、ダブルスは勝利。そして勝敗はシングルス2の私にかかりました。
楽に勝てる相手と思って油断したのか、ファーストセットを取ったあとセカンドセットを落としてしまいました。
ファイナルセットも相手ペースで進み、ついには9ポイントタイブレーク。しかも0対4、相手のマッチポイント。
そこからは、とにかくコートへ返すことだけを考えました。
チャンスボールが来ても、「オケイ、打ったらあかん!」という声に従い、ひたすらロブでつなぎました。
コートの周りには男子テニス部や、隣で練習していたバレー部の人たちまでフェンスに張り付き、応援してくれていました。
ベースラインぎりぎりへ落ちそうになると「ああ……」。
オンラインに落ちると「フー……」。

そんな歓声やため息が、今でも耳に残っています。
あのときほど、「シングルスとは孤独なものだ。誰も頼れないし、誰にも頼れない」と感じたことはありませんでした。
やっと4対4に追いつき、5対4で逆転勝ちしたときには涙があふれました。
「ようやったなあ」と自分でも感心し、同時に「ああ、もうテニスはこりごりだ」とも思いました。
それでも、やっぱりテニスが好きだった
だから大学では、もうテニスはやめて違うことをしようと、自動車部へ入りました。
でも、結局テニスを忘れることはできませんでした。
自動車部の部屋へ行くたびに、テニス部の練習をじっと眺めていました。
ひょっとすると、そのころ太田さんや井口さんが必死でボールボーイをしていたのかな。
私が初めて同好会を知ったのは、たしか横木さんが医短へパンフレットを配りに来られたときでした。
「専属コーチもついているから」と聞いた記憶があるのですが、その専属コーチには、いまだにお会いしていません。
そして最初に練習へ行ったのが万博コート。
初めてお相手をしてくださったのが、かの有名な喜多さんでした。
「同好会といっても、こんなにレベルが高いんだ!」
これが第一印象。
そして、その日、井上さんのブルーバードで石橋キャンパスまで送っていただき、
「待遇がいいなあ!」
これが第二印象でした。
同好会で過ごした三年間
あれから、もう三年近い年月がたちました。
同好会では、本当に楽しい思い出ばかりできました。
高校時代のように試合に追われ、コンディションづくりに神経を使うテニスとは違い、アウトでもエースでも気にせず、のびのびとプレーできました。
芸能生活も、「チッコリ」から「好きよキャプテン」まで幅広いレパートリーを持ち、三年女子のチームワークで活躍しました。
そして追いコンでは、その芸能生活の締めくくりとして、ただ今猛練習中です。

そんな芸能生活も引き継いでくれる人がいるようで、夏合宿での川端さんと大山さんによるピンク・レディーがかなり好評だったそうです。
とてもうれしく思っています。
本当に楽しい三年間でした。
医短から初めての入会者だった私を、異端者扱いすることなく温かく迎えてくれたみんな、本当にありがとう。
これからも、テニスは一生続けていきたいと思っています。





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