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電車の中で見つける、ささやかな真実|土井寛子

yasunoritanaka
5月19日
読了時間: 4分

原題: 電車の中で

阪急電車で大学へ通う日々。混雑のない昼前の車内で広告を眺め、向かいに座る人の暮らしを想像し、ふと目を引く人の雰囲気に「ささやかな真実」を感じる――。通学時間を、単なる移動ではなく、人や風景を静かに観察するひとときとして描いた随想です。文章を実名で発表することへの戸惑いから始まり、電車の中で過ごす一見無意味な時間の楽しさへと、筆者の思いが軽やかに広がっていきます。

実名で文章を書くということ


何故か、『TRY AGAIN』の原稿を書くはめになってしまった。

だいたい文章なんてものは、まず、その文章の題の下に書いてある、書いた人の名前を見たときに、読み手の中に、ある程度、その文章に対する潜在意識みたいなものができるものである。

つまり、著者が身近な人、あるいは有名な人の場合、その人に対して日頃からあるイメージを持っているものだから、文章を読むときも、そのイメージと照らしながら読むものである。

故に、全く同じ文章でも、著者の名前が違えば、違うイメージを持ちながら、その文章は読まれるのではないかと思う。

そんなわけもあって、私としては、この文章を『TRY AGAIN』に載せる際に、ペンネームなんていうものを使いたい。

ペンネームといっても、かつて受験時代に、Z会なんて通信教育の添削問題を提出するときに書いたりしたもの。実際には、雑誌に載ったことはなかったけど。

同好会誌の原稿を実名で書くか迷う昭和50年代の女子大学生

でも、『TRY AGAIN』に文章を書いておられる諸氏は、勇敢にも実名なので、一人だけペンネームなんて書くと、かえって目立って、

「あれは誰だ」

なんて聞かれたりする。

また、知っている人は、それを素直に教えるものだから、大騒ぎになってしまう。

昼前の阪急電車


私は幸いにして、自宅から通っているおかげで、阪急電車のごひいきなのである。

たまにお昼頃から学校へ行くとき、十一時ぐらいに電車に乗っていると、非常に楽しい。

冬ならば、阪急の神戸線はほぼ東西に走っているため、南側の座席に座っていると、背中からぽかぽかしてきて、非常に気持ちがよい。

私はそんなとき、寝ないと損するような気もするのだが、でも、寝られないときもある。

そんなときは、立っている人がいないくらいで、皆がゆっくりと座っているような車内を眺め回しているのである。

車内広告を眺める楽しみ


まず、天井からぶら下がっている広告を見る。

つまらない広告も多いけど、たまには秀作もある。

もうずいぶん前になるけど、カゴメのトマトジュースの広告と、キリンのトマトジュースの広告が並べてつるしてあったことがあり、

「阪急も、なかなかやるな」

なんて思いながら、思わず笑ったこともある。

そうして、ひととおり広告を見た後は、自分の向かいに座っている人に、それとなく目を向け始める。

そして、その人がどんな人なのかなあと想像し始めるのである。

その人の顔つきとか、服装とかから、まことに勝手な想像を巡らすのである。

目を引きつけられる人


そうして車内を見回していると、たまに、目が引きつけられるような人がいることがある。

じっと見つめているわけにもいかないので、ちらっ、ちらっと見るわけであるが、それはどんな人であるかといえば、すごくきれいな女の人とか、ちょっと面白い服を着ている人とか、一風変わった風貌のおじさん、またはお兄さんとか。

感じがいいなと思うような男の人には、そっと目がいっても、そんなにずっと見る気にはなれないものである。

昼前の空いた阪急電車で乗客や広告を眺める女子大学生

そのうちに、一見、質素な身なりで、顔も特に美人というわけでもない、というような人に目を引きつけられることがある。

それは、うまく表現できないが、その人全体からにじみ出ている。

いや、「にじみ出る」というような積極性、しつこさはない。

「醸し出される」といったほうがいいような、その人全体の雰囲気に、何か、はっとさせられるのである。

その人が持つ「ささやかな真実」


それが何なのか、まだ私にはうまく説明できない。

けれど、曽野綾子の、

「人間は誰しも、ささやかな真実を持って生きている」

という考えを引用するなら、その人には、何か私の求めている「ささやかな真実」があるのではないかと思う。

ひょっとしたら、それは私がどこかに置き忘れてきたものかもしれないけど。

通学電車にも楽しみはある


高校が家から近かったので、かつて電車通学というものに憧れていた私であった。

しかし、その憧れも、大学に入学した年の四月で、もろくも崩れ去り、疲れだけを感じ始めていた。

でも、電車通学も慣れてみると、結構楽しいこともあるのである。

また春になれば、沿線の桜や緑が私の目を楽しませてくれることであろう。

電車の一番後ろに乗って、車掌さんのいないほうの窓から、通り過ぎた後に残り、どこまでも続く線路を見ているのも楽しい。

それに、電車が過ぎると、おもちゃみたいに「びこん」と上がる踏切なんて見ていても楽しい。

無意味で、無駄で、でも楽しい時間


とにかく、非常に無意味なようで、でも、その無意味さ、無駄さを解消することのできない電車の中の時間。

人それぞれ、どんなふうに過ごしているのかしら。

そして、どんなふうに楽しんでいるのかしら。

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